『南京大虐殺』に関するポイント・論点

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1.いわゆる『南京大虐殺』とは?

1937(昭和12)年12 月13 日、日本軍が国民党政府(蒋介石)の首都であった南京を制圧しました(南京戦)。中国共産党政府は、この南京戦の際に日本軍が多くの民間人を殺害したと主張しています。これを『南京大虐殺』といいます。この件に関しては、事件の規模、存否も含めて様々な論争がありましたが、識者の検証で『南京大虐殺』はなかったことが明らかになっています。

2.南京大虐殺はなかったといえる理由

諸説ある『南京大虐殺』の虐殺数

日本軍の虐殺数は、日本軍と戦った蒋介石が率いる国民党政府は、1947(昭和22)年の南京戦犯裁判軍事法廷で30万人以上とし、また中国共産党(現在の中国政府)は、30万~60万人で100万人と言うこともあります。東京裁判(米国を中心とする連合国が日本を裁いた裁判)では、20万人以上です。アイリス・チャン著「ザ・レイプ・オブ・南京」では26~35万人。日本の識者の研究 は 20 万人を上限として、4 万人、2 万人などがあります。

しかし、国際委員会の活動記録(1939年に出版)では、殺害件数は26件と報告(南京事件の研究家・板倉由明氏は46件と分類)しています。しかも目撃されたものは1件のみで、他は伝聞によるものです。

ちなみに米国は、広島や長崎に原爆を落とし、東京空襲では一夜で10万人の市民を虐殺するなど、トータルで30万人の日本の非戦闘員を殺害しました。米国は自国の大虐殺を打ち消し、日本を罪悪人として裁くためドイツと同じようなユダヤ人大虐殺に匹敵する事件をでっち上げる必要があったわけです。そこで東京裁判で、「南京大虐殺」の日本以外の証言は嘘でも認められ、それに対して日本側の反論は認められない裁判を行ったのです。

現在の日本政府は「日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」としているものの、「被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難である」との立場を取っています。

南京市民は30万人もいなかった

中国側は犠牲者数を30 万人と主張していますが、これはあり得ない数字です。当時の南京市長は、全市民に対して「南京安全区国際委員会」(アメリカ人宣教師を中心とする15名ほどによって結成)が管理する安全区内に避難するよう命令を出しました。国際委員会が、日本軍が南京に入城した12 月に出した文書には、難民の総人口は20 万人と記されています。

また、米副領事の報告に、南京人口は20 万人と記録されているほか、米誌「タイム」にも、「15万人の南京市民が避難した安全区」と書かれています。さらに、南京攻略を指揮した松井石根(いわね)大将は、日記に「避難区の人数は12万余」と記しています。

『従軍慰安婦問題と南京大虐殺は本当か?』 エドガー・ケイシーによる「タイムスリップ・リーディング」】

「日本軍が攻めていったとき(※昭和12年12月)、軍隊と市民を合わせて、せいぜい5万人…南京城の外にどんどん逃げている。」

日本軍による占領後、南京に住民が戻り人口は増えている

30万人もの大虐殺が行われたなら、南京の人口はゼロになるでしょうし、そのような場所に避難民が戻ってくることはあり得ないでしょう。ところが、占領翌月の1938年1月の国際委員会の文書には25 万人と記されており、前月より5万人増えているのです。

 東京裁判では、日本軍の南京占領後、「虐殺・暴行・掠奪・強姦など悪魔の狂宴は6週間にわたって続いた」とされています。しかし、人口が急速に増加している事実は、南京市の治安がよかったことの証左であり、国際委員会からは感謝の書簡が日本軍に送られたほどでした。

【国際委員会委員長ジョン・H・D・ラーベ氏が日本軍に送った感謝状「東京裁判速記録210号」】

「拝啓 私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡をとり得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります。」

エドガー・ケイシーによるタイムスリップ・リーディング――「200人くらいかな」

『従軍慰安婦問題と南京大虐殺は本当か?』――左翼の源流 vs. E.ケイシ―・リーディング】

「ゲリラみたいですね。普通の民家のような所を根城にして出没し、日本軍の不意を襲うようなことを、繰り返し繰り返しやっています。…(兵隊の格好は)していないですね。市民の格好をしている。要するに、偽装している者がすごく多いですね。…「軍隊か、民間人か」の区別がほとんどつかないような状態になってはおりますが、占領したときに殺された人は、(約15秒間の沈黙)200人ぐらいかな。」

南京大虐殺の証拠写真は捏造(ねつぞう)された

ザ・レイプ・オブ・南京

【写真1】引用元:

  『ザ・レイプ・オブ・南京』

  (アイリス・チャン著)P.194~195

東中野氏は共著『南京事件「証拠写真」を検証する』(草思社)で『ザ・レイプ・オブ・南京』の証拠写真についても検証しています。

たとえば、日本軍の南京入城は昭和12年ですが、(左写真1)は、≪虐殺の間、南京の3分の1が放火で破壊された≫と説明されていますが、写真の「97式装甲車」は、昭和15年に熊本に初めて配備されたもので、当時南京に存在しませんでした。

ザ・レイプ・オブ・南京

【写真2】引用元:

  『ザ・レイプ・オブ・南京』

  (アイリス・チャン著)P.194~195

(左写真2)は≪日本軍は何千人もの女性を狩り立てた。大多数がレイプされるか、軍用の慰安婦にさせられた≫という説明をつけていますが、秦郁彦日大教授の調査により、アサヒグラフ(昭和12年11月10日号)の写真で「硝煙下の桃源郷江南の『日の丸部落』」、≪我が兵士に援られて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群れ≫との解説が付いています。

当時の新聞記者の証言「見たことも聞いたこともない」

日本軍が南京に入城したのは、1937(昭和12)年12 月です。その際に世界のマスコミも含めて100人を超える報道機関が日本軍と南京城内に入っていますが、しかし当時30万人にも及ぶ虐殺があったという報道はされていません。

【南京戦での朝日新聞従軍記者の証言】

朝日新聞は従軍記者とカメラマンを16人派遣し自動車を使って南京戦を取材しました。
「南京事件ねえ、全然聞いてない。もしあったとすれば、記者の中で話が出るはずだ。記者というのは、少しでも話題になりそうなことは、互いに話をするし、それが仕事ですからねえ。噂としても、聞いたことがない。朝日では、現地記者を集め、座談会もやったが、あったなら話がでるはずだ。報道規制?何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いていた。」(橋本登美三郎氏 朝日新聞南京派遣記者団キャップ)
「私が編集局長の時、南京に特派した記者たちを集めて、一人一人聞いてみたが、そのようなことは見たことも聞いたこともない、という返事ばかりだ。何万、何十万なんていう虐殺など、絶対にない。」(細川隆元氏 朝日新聞編集局長)

30万人の遺体が出ていない

アメリカが広島に落とした原爆で亡くなったのは10万人、だとしたら日本軍は原爆3つ分の兵器に匹敵する大虐殺を銃剣で行い、しかも世界のマスコミが一緒に入城していながら、誰にも見つけられずに12月の凍った土地を掘って30万人の遺体を埋めたということになります。南京では戦後、ビル建設も行われていますが遺体が出てきた話は全くありません。ですから中国が主張する日本軍の30万人大虐殺は常識で考えてあり得ません。

中国の指導者が『南京大虐殺』に言及していない

国民党の蒋介石や共産党の毛沢東といった当時の指導者たちは、南京大虐殺に言及していません。特に、蒋介石は南京陥落後、漢口などで300 回も記者会見やラジオ放送を行っていますが、日本軍による虐殺があったことは言及していません。

3.宣伝工作としての『南京大虐殺』

『南京大虐殺』は中国による宣伝工作だった

1938年7月、英国紙の中国特派員ティンパーリーが『戦争とは何か -中国における日本軍の暴虐』をロンドンで出版し、世界に虐殺を告発しました。しかし、同氏は国民党の中央宣伝部の顧問であり、同党から資金提供を受けていたことが明らかになっています。こうした宣伝工作に蒋介石は長けており、他にも外国人記者を通して、国民党が行った空爆など日本軍がやったと宣伝工作を行っていました。

1980年代、日本に『南京大虐殺』を広めた本多勝一氏

本多勝一著『南京への道』(朝日新聞社1987)は、中国人の証言を取材していますが、川野元雄著『南京「大虐殺」被害証言の検証』(展転社)は、その中国人の証言から時と場所が特定できる29の証言を検証しました。

川野氏は「時間・空間的検証」を試み、中国人の証言した事件があった、その時、その場所に日本軍はおらず、「本多勝一氏が中国で集めた」証言は、「中国当局のお墨付き証言」であり、日本軍の虐殺を裏付けるものは一つもなかったと結論付けています。

『本多勝一の守護霊インタビュー』 朝日の「良心」か、それとも「独善」か】

「マスコミは事件がなければ事件を創作することが仕事で、日本人の良心をキリキリ締め上げることで朝日新聞は食ってきた。」「中国の接待で南京虐殺の事件を書いた。」

1990年代、世界に『南京大虐殺』を広めたアイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』

同書は「日本軍が数週間の間に一般市民約26万人から35万人を虐殺し、女性2万人から8万人を強姦した」と主張。「生きたまま穴に埋める」「臓器を切り裂く」「生きたまま壁に釘で打ちつける」などの記述が満載で、日本の軍隊が「ナチス」のような「悪魔の軍隊」であるという印象を全世界に広めました。

今年6月12日、大川隆法総裁は、アイリス・チャン本人の霊にインタビューしました。

『天に誓って「南京大虐殺」はあったのか』 「ザ・レイプ・オブ・南京」著者アイリス・チャンの霊言】

「6週間で35万人殺したということにしたけれども、実際には、『6週間で南京の治安を完全に安定させてしまった』というのが事実だったのかなあっていう…」「南京大虐殺はなかった。ごめんなさい。」

中国側が『南京大虐殺』を捏造する訳―対日外交圧力のカードとして利用

1998年、当時の中国の江沢民国家主席は会議の席上、「日本に対しては歴史問題を永遠に言い続けなければならない」と指示し、歴史問題を「対日外交圧力の重要カード」と位置付けていたことが「江沢民文選」の中で明らかになっています。

4 .歪められた日本の歴史教育

改革が求められる日本の「自虐史観教育」 (例・中学校の教科書)

東京書籍

「首都南京を占領した。その際、婦女子を含む約20万人とも言われる中国人を殺害した(南京大虐殺)。」

教育出版

「日本軍は、シャンハイや首都ナンキンを占領し、多数の中国民衆の生命をうばい、生活を破壊した。ナンキン占領のさい、日本軍は、捕虜や武器を捨てた兵士、子供、女性などをふくむ住民を大量に殺害し、略奪や暴行を行った(ナンキン虐殺事件)。」

 

戦後の教育の中で捏造された歴史が子供たちに教えられています。これでは日本の子供たちが自分の国に誇りを持てるわけがありません。日本の子供たちが自分に自信が持てない理由の一因でもあります。捏造された歴史を正し、先人の名誉を回復し、日本人の誇りを取り戻すことが必要なのです。

5.「南京大虐殺」――中国が世界に仕掛ける日本包囲網計画

中国による「南京大虐殺」「従軍慰安婦」のユネスコ記憶遺産への申請

今年3月、中国政府がいわゆる「従軍慰安婦」と合わせて「南京大虐殺」に関する資料をユネスコの記憶遺産に登録申請しました。その申請の可否は、戦後70年の節目の年である平成27年の夏頃に決定するとみられます。

もし、ユネスコにこの登録が認められたならば、「嘘の歴史」によって日本の国際的立場は貶(おとし)められることになり、わが国は未来永劫、汚名を着せられてしまいます。日本人の誇りを取り戻し、日本の未来を守ることが今とても重要なのです。

【参考図書】

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