「憲法改正―緊急事態条項は必要か」
憲法改正の議論。
憲法改正の機運がこれから盛り上がってくると思います。
政権与党である自民党は次の4テーマ、すなわち、(1)憲法9条、(2)緊急事態条項、(3)合区解消、(4)教育について議論を誘導してくると思われます。
今回のメルマガは、特に「緊急事態条項」について私見を述べさせていただきます。
緊急事態条項とは。
緊急事態条項とは「大規模な災害や有事などで、国が緊急事態を宣言し、人権保障や権力分立などの憲法秩序を一時停止して非常措置をとる権限(国家緊急権)を定めた条項」のことです。
緊急事態が宣言されると政府に権限が集中され、国民の生命、安全、財産を確保するために必要なことを迅速に行うことができる反面、個人の権利の強い制約が可能となります。
今後、東アジア情勢の有事、さらに天変地異などの未曽有の災害が起こった時、考えておかねばならないことではありましょう。
2017年末における自民党の緊急事態の検討事項。
現段階で、自民党は二つの条項を憲法に設けることを考えているようです。
一つ目は緊急事態に際し、選挙ができない事態に備え「国会議員の任期延長や選挙期日の特例等を憲法に規定すべき」ということ。
二つ目は「政府への期限集中や私権制限を含めた緊急事態条項を憲法に規定すべき」ということです。
これは自民党の土俵で考えている部分があります。
そこで、当メルマガでは、憲法における緊急事態条項について、少々荒くはなりますが、本質的な議論をしてみたいと思います。
国家緊急権。
憲法学者の芦部信喜は「国家存立の危機の事態に対処すべく国家権力が『立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置をとる権限』を“国家緊急権”と呼ぶ。
しかし、それは『立憲的な憲法秩序を一時的にせよ停止し、執行権への権力の集中と強化を図って危機を乗り切ろうとするものであるから、立憲主義を破壊する大きな危険性』を内包する」と述べています。
この国家が本来持っている“国家緊急権”を、憲法に明記すべきか、すべきでないかという議論が緊急事態条項のテーマとなります。
1964年に憲法調査会最終報告書で、積極論、消極論が報告されました。その概要は以下の通りです。
憲法に明記する立場。
積極論は、非常事態に対処するには、日本国憲法のように成文憲法ならば、憲法に明記すべきであるという主張です。
憲法に規定がなかろうが、様々な緊急措置が取れるとしても、現実政治では対処することは難しい。
逆に、憲法に明記することで、権力の濫用を防止することができるという立場です。
憲法に明記しない立場。
消極論は、現憲法下でも非常事態に対処する措置は取れる。憲法に明記すれば、かえって権力の濫用の危険性がある。
憲法に明記しようとすれば不必要な政治的混乱を発生せしめるという立場です。
成文憲法と慣習法の考え方の違い。
この背景には、憲法にこと細かく明記しなければならないという考え方(成文憲法)と、英米流のコモンロー(一般慣習法)の考え方の違いがあるように感じます。
日本は明治期に、ドイツの成文憲法を参考にしてきたのですが、実際は慣習法と混然一体となっている認識もあります。
例えば、2016年の憲法審査会で、船田元委員は「日本国憲法は抽象的表現が多いために改正しなくて済んできた、あるいはぎりぎり改正を先送りすることができた」と述べています。
また上川陽子委員は「わが国は、条文の抽象度が高いとともに条文数が少ないという日本国憲法の特色を生かしながら、憲法典そのものの改正ではなく、法律改正などを通して時代の変化に向き合う努力を続けてきました」と述べています。
つまり、「憲法には細かいことを明記せず、本質的、抽象的な表現でやってきた。細かいことは法律で対応してきた」ということです。
完全法典としての成文憲法。
憲法を“完全法典”として考えるならば、解釈上の疑義や、運用上の歪曲を避けるために、細かく憲法の条文を増やしていかざるをえません。
この考え方の延長には、緊急事態条項だけではなく、環境権やプライバシー権など、さまざまな項目が憲法に加えられていく流れとなります。
国の根本法典である憲法が、細かい法律のように増えていくことでしょう。
不分の憲法原理。
一方、非常事態が起こった時、憲法の規定にかかわらず、政府がそれに対処することは当然の責務であり、“不文の憲法原理”であるとする立場があります。
国家の危急存亡のとき、政府がその秩序を回復することは、自衛権と同じで、国家にその義務と権利があるということです。
それは憲法に明記していなくとも存在するということなのです。
日本国憲法では、政府が非常措置をとる根拠として「公共の福祉」があります。
人権が制限される場合、それは緊急時に必要なことを「公共の福祉」を大義名分として、国家の秩序を維持し、回復するというものです。
政府が国家緊急権を発動し、何らかの人権制限のための具体的措置を行ったなら、それが妥当であったかどうかを、最高裁が判定することになります。
政府の措置が違憲の場合は、最高裁が人権を守ることになります。
この司法的抑制によって、政府の権力濫用を防ぐという考え方です。いわゆる違憲審査制ということです。
未完の法典。
成文化した憲法典のみが憲法ではありません。これは“未完の法典”という考え方です。
その国の慣習や判例など、積み重ねてきた人類、民族の叡智全般を、大きな意味で“憲法”と考えます。
この“未完の法典”、慣習法は、保守の考え方そのものです。保守は伝統とか慣習を大切にします。そこに人間の叡智があるからです。
逆に左翼は、伝統などを切り捨て、自分たちの頭で考え、設計したことを実行しようとします。
しかし、歴史が証明しているように、人間の叡智を無視した左翼国家は、粛清などの大量殺人が横行し、悲惨な結果となりました。
緊急事態への対処は必要。
私は緊急事態への対処は当然、必要であると思います。ただ、それを憲法に明記するかは、もろ手を挙げて賛成ではありません。
日本国憲法が成文憲法として、完全法典を目指すならば、今後も細かい事項が加憲されていくことになるでしょう。
本来、法律レベルのものも憲法に入っていき、逆に国民の自由を阻害することを危惧します。
現行憲法でも緊急事態への対処は可能。
実は、今までの内閣法制局の答弁では、武力攻撃や大規模災害の際には、現行の憲法で「公共の福祉」の観点から、合理的な範囲で法律によって国民の権利を制限し、特定の義務を課すことは許されるものであるとの見解を示しています。
今でも、災害対策基本法、国民保護法、新型インフルエンザ等対策特別措置法、武力攻撃事態法など一部の法律では、緊急政令の制定が可能です。
衆議院が解散しているときも、参院の緊急集会制度で対処できるとされてきました。
そもそも論から憲法のあり方を問う。
いろいろ述べてきましたが、そもそも論から、緊急事態条項を見てみたいと思います。
日本国憲法には法律まがいの細かな条文が入っており、その影響もあってか法律や法令が煩雑になってきています。
結果、国民の自由の領域が狭まっています。
あるべき姿の憲法は、国家の理念を提示するものとし、必要最低限のことを定め、あとは法律に委ねることが理想であると思います。
危機管理の遅れは議院内閣制にある。
行政府の長の動きが緩慢なのは、議院内閣制に原因があります。実質上、国会と内閣は一体であり、国会が行政府の長である内閣総理大臣の足を引っ張っているのです。
この弊害を無くすためには、直接投票で行政府の長を選ぶことが必要です。国会議員から間接的に総理大臣を選べば、どうしても国会に引っ張られます。
国民投票で、大統領のように選ばれれば、指導力をもっと発揮できるようになります。国家の緊急事態において、行政府の長に強い権限がなければうまくいきません。
国会で決めようとすると紛糾して何も決められません。このように、行政府の長が強いリーダーシップを発揮するようにすべきです。
ローマの臨時独裁官。
共和政ローマでは、「臨時独裁官」という役職がありました。その名の通り、戦争や内乱などの緊急事態に設けられる官職です。
強い権限とともに、任期は半年と短く、できるだけ早く任務を完了することが求められていました。
このように昔から、緊急事態においては強いリーダーシップが必要であることは自明の理だったのです。
緊急事態条項についてどうするか。
緊急事態について備えておくことは必要です。この問題の本質は、行政府の長がリーダーシップを発揮するような体制をとることです。
そのために行政府の長を直接投票で選べることが最善であり、その方向で憲法改正をすることを訴えたい。
ここが決まれば、緊急事態については法律レベルで問題ないというのが、私の考えです。
したがって、現行の日本国憲法の中に緊急事態条項を加えることは、法律レベルの条項が増えるので、本来の憲法の姿からすると、あまりよろしくないと思います。
まあ、自民党案とは憲法におけるスタンスが根本的に違うので、緊急事態条項を憲法に設けることは「なんだかなぁ」というのが率直な思いです。
国民の危機と向き合う気概。
国家緊急権は、憲法上に規定されていなくても存在します。
ここで問題なのは、戦後、国家の危機というものを想定し、それに向き合う気概を失っている国民の精神にあるのではないでしょうか。
憲法に緊急事態の規定があるからといって、国民に危機に果敢に対処しようとする気概がなければ、政府は適切な行動を取ることができず、役に立たないでしょう。
緊急事態を詳細に決めておくことは不可能。
また、緊急事態はなかなか予測できません。備えは万全を期す必要がありますが、それがすべてではありません。
あまりにも細かく事前に規定しすぎると、それに縛られて必要な行動が取れなくなることもあるでしょう。
政治家の気概。
想定外の事態が起きるから緊急事態であり、その時の切り札が国家緊急権となります。
前述しましたが、これは国家がもともと持っている生得的な権利です。
政治家は、国民を護るために、必要なことを行う気概が必要です。
緊急事態において、政治家は、場合によっては憲法をも超えて、国民の生命を護る判断をしなければなりません。
そして、危機が去ったとき、それが妥当だったかどうかを国会によって検証され、司法に判断されるでしょう。
時には、職を辞すこともあり得るでしょう。それが正しいとなれば、次の選挙で国民の信を問うこともできるでしょう。
このように、危機に際して、自分の立場を顧みずに対処するような気概を持つ政治家が出ること、そして国民に危機と向き合う意識があることが、緊急事態対処の要諦であると思います。
2、編集後記
憲法改正への動きは歓迎します。
左翼のように「憲法を守って、国が亡ぶ」というようなことがないようにしなければなりません。
ただ、今の憲法改正の各党の発想は、法律レベルの発想です。
もっと根本から考える骨太の論議をしたいものです。
また、今回のメルマガの内容は、法律家の皆様からみると不十分な点があるかもしれません。
それに関しては、申し訳なく思います。
ただ、議論の大筋をご理解いただければ幸いです。
◆ 江夏正敏(えなつまさとし)プロフィール
1967年10月20日生まれ。
福岡県出身。東筑高校、大阪大学工学部を経て、宗教法人幸福の科学に奉職。
広報局長、人事局長、未来ユートピア政治研究会代表、政務本部参謀総長、HS政経塾・塾長等を歴任。
幸福実現党幹事長・総務会長を経て、現在、政務調査会長。
◆ 発行元 ◆
江夏正敏(幸福実現党・政務調査会長)
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